超高齢社会を迎え、認知症への対策は社会的に喫緊の課題となっています。日本における65歳以上の認知症患者数は約600万人(2020年現在)と推計され、その約半分がアルツハイマー病であるといわれています。今後、その数はさらに増加すると予測され、早期診断法および治療薬の開発が急務となっています。アルツハイマー病は、βセクレターゼ(BACE1)*1とγセクレターゼと呼ばれる2つの酵素によって、アミロイド前駆体タンパク質(APP)が切断されて生じるアミロイドβペプチド(Aβ)が、過剰に産生され蓄積・凝集することが病理に中心的な役割を果たすと考えられています(図1)。
図1 BACE1とγ-セクレターゼによるAPPからのAβ産生 APPとBACE1は共に1回膜貫通型の膜タンパク質である。APPはまず細胞外ドメインにおいてBACE1によりβ切断を受け、sAPPと膜結合型のC末端側断片を生じる。さらに、膜貫通領域においてγ-セクレターゼにより切断を受けAβが産生される。BACE1はパルミトイル化*2によりラフトと呼ばれる膜ミクロドメイン*3に局在するとされている。APPの一部もコレステロール依存的にラフトに結合することから、ラフトがβ切断の場であると考えられている。 |
BACE1はパルミトイル化によりラフト*3に局在すると考えられている膜貫通タンパク質です。APPのβ切断は細胞内コレステロールレベルにより制御されており、ラフトにおいてβ切断が起こることがその理由と考えられていますが、その詳細は不明です。我々は、コレステロール依存性のβ切断制御機構を明らかにするためにAPP、BACE1を含むマウス脳由来DRM*3を単離して構成蛋白質を解析しました。その結果、APPは細胞内輸送や突起伸長などAPPの生理的機能に関連する分子群とともに巨大複合体として膜ミクロドメインに局在し、BACE1との会合が抑制されていることを示唆する結果を得ました。シナプス前部の細胞膜への輸送に関連してミクロドメイン複合体が解離し、ラフトでのAPPとBACE1との会合が可能になると考えています。
また、β切断は神経活動依存性を示し、ヒト脳におけるイメージングから明らかにされた神経活動とアミロイド沈着部位の関連やアルツハイマー病病態進展におけるてんかん合併の意義等で注目を集めています。シナプスでは、神経伝達物質を含む小胞とシナプス前終末の細胞膜が融合し、その内容物が放出されますが、その後過剰となった膜がエンドサイトーシスにより取り込まれます。その際にAPPとBACE1がエンドソームに輸送され、酸性化した環境でBACE1が活性化されてβ切断が起こると考えられています。我々はエンドソームの形成に関わるリン脂質フリッパーゼ*4のサブユニットであるTMEM30a がAβ領域でAPPと結合すること、過剰発現はエンドソームの輸送障害を引き起こしAβの過剰産生に至る可能性を示しました。小胞輸送と関連したAPPのβ切断制御を理解する上で重要な知見であり、新たな治療標的を見出す糸口となる可能性もあります。
BACE1欠損マウスにおいて初期の解析で明らかな異常が示されなかったことから、BACE1活性は必須なものではなくアルツハイマー病の治療標的として有力なものと考えらました。それに基づいて多くのBACE阻害薬が開発され、治験が行われましたが、ヒト脳内のAβ産生は減少するものの、アルツハイマー病の症状の改善は見られず、むしろ一部の認知機能の低下を生じることが明らかとなりました。APP以外のBACE1の生理的基質の切断抑制がその原因の一つとみなされています。これは、BACE1が神経系において重要な機能を果たしていることを示唆しており、基質としてシナプス機能に関連するneuregulin やsez6などが重要と考えられています。我々もBACE1により切断される生理的基質として電位依存性ナトリウムチャネルβサブユニット(VGSCβ) を報告しました。VGSCが神経活動の基本分子であり、チャネルを形成するαサブユニットの輸送・細胞内局在をβサブユニットが制御していることはAPP代謝の神経活動・細胞内輸送依存性との関連で重要な知見と考えられます。
Neuregulin などAPP以外のBACE1の生理的基質の神経細胞における切断調節機構を明らかにすることで、APP特異的な切断制御法を見出すことが可能と考えられ、基質タンパク質のβ切断断片を特異的に認識する抗体を用いて研究を進めています。
*1 βセクレターゼ(BACE1): 501個のアミノ酸で構成される膜貫通型のアスパラギン酸プロテアーゼ。活性中心に2つのアスパラギン酸があり、酸性環境下で活性を持つ。BACE1欠損マウスにおいて明らかな異常が示されなかったことから、アルツハイマー病の治療標的として有力視され多くの阻害薬が開発された。
*2 パルミトイル化: 飽和脂肪酸であるパルミチン酸をシステイン残基とのチオエステル結合によりタンパク質に付加する翻訳後脂質修飾。近接した複数のパルミトイル化がラフト局在に重要であると考えられている。
*3 膜ミクロドメイン、ラフト、DRM: 細胞膜や細胞内小器官の膜上で特定の脂質とタンパク質が集合することで形成される数十から数百nm程度の膜微小領域を膜ミクロドメインと呼ぶ。コレステロールとスフィンゴ脂質により形成されるラフトが代表例。ラフトには飽和脂肪酸で修飾を受けたシグナル伝達分子等が会合し、多様な細胞機能の場として働くと考えられている。特に神経細胞においては、レセプター・チャネル等の膜結合型の機能分子の多くは、神経-神経間・神経-グリア細胞間接着部位等に形成される特定領域にスキャフォルド蛋白質など結合蛋白質群とともに集積し、機能分化した膜ミクロドメインを形成している。高度に分化した構造を持つ神経細胞における膜ミクロドメインの解析は、神経機能の基本的理解に重要であると考えられる。DRM(detergent resistant membrane)は界面活性剤の可溶化に抵抗性を示す膜画分であり、膜ミクロドメインに対応するものと考えられている。
*4 フリッパーゼ: 生体膜を構成する脂質二重層において、内葉(細胞質側)と外葉(細胞外または内腔側)のリン脂質は非対称分布を示す。細胞膜においてホスファチジルセリン (PS) が内葉に多く、ホスファチジルコリン、スフィンゴミエリンが外葉に多いことはよく知られている。ATP依存的にリン脂質を外葉から内葉に輸送する酵素がフリッパーゼであり、内葉から外葉へ輸送するフロッパーゼとともにリン脂質の非対称性を維持・調節している。フリッパーゼの本体はP4-ATPaseであり、その多くはTMEM30 (CDC50)と呼ばれる2回膜貫通型のアクセサリータンパク質と複合体を形成し、機能している。細胞膜における内葉へのPS 分布によるシグナル分子の集積、局所的なリン脂質フリップ活性亢進による膜曲率形成・小胞の出芽(エンドソーム形成)などに関与すると考えられている。